巡る思考への回答 Extracted from https://www.nicovideo.jp/user/7375756/mylist/76940611?ref=pc_userpage_mylist
本当に意味が分かっていないです。決してネガティブな意味ではないのですが、この動画を見た時のいらつきは何度も蘇ります。 この動画は多少の道理があるように思いますし、何かの面白さはあるように思いますが、一切何も読み取れないくだらなさとしょうもなさと無為に成立している意匠があります。 ここまでちぐはぐな動画をみたことがありません。ある意味で到達のなさでもありつつ、このとりつきようのなさも相まって僕をしばらく苛む位置にあり続ける動画になると思います。
アニメを中心として組まれた複数題材を用いながら、それらは流れとして本人の紡ぐ心境の吐露であるような聞こえ方もあります。 しかし、それと同時に選んだ視座というのも題材のエッセンスとして含まれているように思います。それぞれが印象的なセリフとして噛み合うようにあることを意識せずとも聞けるような構成になっていることにも同時に感銘を受けました。 そうした作品をまたぐセリフの流れと、影響を受けうる作品の抽出部分という、内外から個人の輪郭を示した動画としてその獲得を意識させるような動画でした。
文字を扱うことに対して、背中を押されたような感じがあるというか、初めて文字があることのありがたみを感じた瞬間でした。 自分にとってビジュアルとしてのテキストの効用というのは絶大で制御しきれる部分がなく、その点でいかなるテキストであっても扱いに難しさを感じていたのですが、その点ではこの動画が完璧と言えるくらい文字を扱う意味に満ち溢れています。 鑑賞者として、文字がなければ成立しない世界を音MADとして受け止められた幸福があります。そこから、投稿者の意図と意匠が見事に噛み合った動画だと思いました。
個人的な愛着とアイデアが視座になりやすい私的オールスターというフィールドにおいて、ここまで露骨な批判的姿勢を示した音MADはなかなか見られないと思います。 ただ批判するのではなく、自分のような第三者に対しても流れが伝わるような説得力を素材選定の段階から解説まで慎重に組み、それを本楽曲の意味合いも含めた上で形にしている一連の流れには圧倒されます。 これがオールスターを謳うゲームに対しての私的オールスターの音MADであるというところまで、一切の隙の無さを強く感じています。
「otogroove」の感激は紛れもなく、唯一後悔があるとするなら、あの場所で死ねなかったことです。本当に素晴らしい刹那であったという言葉をこの場でも捧げます。 しかし、その感激とは別に、57:33~58:53の区間が第三者から送られた事実が本当に末恐ろしいです。一部のパートへの言及となることをご容赦ください。 主催の唱えていた「全殺全救」というイズムを深く咀嚼しクリティカルな一手を打つことに徹した人間が観測していた範囲の外にいたことが、いまだに信じられません。 音MADが導く畏怖をそこに見ました。
音MAD活动:华は非常に鮮烈な体験でした。海を越えて熟成された「音MAD」というワードが展開しており、そこにはむしろ自分の追い求めていたエッセンスが詰まっているように思えました。 その中でもこの動画は純粋に自分の好みに合致するという点でもピックアップしています。 背景を含めた感銘を多く感じた中で、具体的かつ予想外の衝撃を与えられたのはこの動画でした。 特に5分50秒ごろからのパートは、自分の知っている像の組成からここまでの圧倒をさせるという意味でも、とても嬉しい光景になっています。
自分が「大変な途中下車シリーズ」から受ける感銘というのは、空間を扱う側面が多く、時間にスポットが当たるとしてもそれは一つの点であり、それを現在の視点から思いをはせることが多かったのですが、この動画に関しては長い時間をかけてそれを形に残し続けていた人たちだからこそ、そしてそれを見ていた人たちだからこそ強く突き刺さる意匠が散りばめられているのだと思いました。 強大な動機を基として、電車を通した音と画の情報から、その先に見える時空間の拡張を、二人の人間が紡げるのだと思うと何度も新鮮な感銘がよみがえります。
ある高校のイベントにおいて、2名の在校生が用意したDJmixの形式をとる動画です。 コメントによる相乗効果で、その盛り上がりも伺える渾身のmixであるように感じます。 外部の人間である自分がここで特筆したいのは3:15~04:45までの区間です。 ここは様々な手段を用いて構成されている区間だと思うのですが、これが「学内イベント用に在校生として制作された」ものであるということに強い感銘を受けます。 各人が音MADによる共鳴を持つための光景を、その当事者が作り出せる希望を抱きました。
自分の輪郭を意識しすぎて苦しくなった時、この動画に出会って忘れていた呼吸を自覚しました。 電車をモチーフに掠め取った線形の接続でありながら、無頓着なペーストのように思える作為の消失からは、なり得ない群像という同時多発性を表出しているようです。 ウェザー(sm44147124)に見られた最遠距離の接続の拡張にある情緒のようにも思いました。 個人というものが解けていきつつ、脈々と描かれる世界と対峙したときに生まれる、無自覚に受け取る良さや面白さの尺度が及ばない自我の融解をこの動画には感じます。
どこかに辿り着くことを各局面で勝手に義務感として思い詰めることがあるのですが、その最中にどこにも辿り着かなかったこの動画を偶然目にし、息のつまる感覚が解消されました。 その点では、自分にとって大切見ていきたい動画の一つです。 そして、この捉えどころのなさと心地よさが仕掛けとしてこの動画内に構成されている予感にも、辿り着かなくても良い、というような背中を押される感覚があります。 強烈なか弱さとして、いまだ何かに揺さぶられています。